サスティナブルシティ「Edo」 | 株式会社マツドリフォーム

サスティナブルシティ「Edo」

暑い日が続いておりますが、お元気でしょうか?
サッカーワールドカップ盛り上がりましたね~
日の丸を背負って戦う侍ブルーたちは、理屈抜きに全員カッコ良かったです!

さて、サスティナブル(Sustainable 持続可能)のお話です。今回は、江戸の街がいかに素晴しい〝サスティナブルシティ〟だったかについて触れたいと思います。

19世紀の初頭、ロンドンは90万人、パリは50万人、そして江戸は120万人でしたので、世界でも突出した大都市でした。100万人を超える人口を抱えながら、玉川上水があり、きれいな魚も獲れ、富士山もよく見えたようです。

江戸には18世紀すでに110Kmに及ぶ上水道が完備されており、江戸の海辺、川辺は極めて美しく、隅田川に白魚が住み、江戸前といって、東京湾にいる魚が寿司のネタになっていました。

人糞は農村部に100%運ばれ、貴重な肥料として市場が成立しており、川に汚水が流れることはありませんでした。セーヌ川に汚水が流れ込み、悪臭が漂い、ペストが発生してしまったパリとはえらい違いです。ロンドンにも水道がありましたが、それは常時水が供給されているわけではなかったようです。

日本には、全てのものには神が宿っているという古来からの迷信があり、倹約が奨励され、物を粗末にしないという思想の下、ほとんどのものがリサイクルされていましたが、そうでないものは全て土に戻っていたそうです。

欧米でいう自然との共生を超えた、自然と一体となった世界が展開していたのですね。

私達の先祖がつくりあげた壮大な循環システムは、その後、明治時代の文明開化と共に破壊され続けています。米の自由化が議論されていた頃、あるアメリカ人から「お前たちは文化を捨てるのか!」と、詰問された学者の先生がいたそうですが、日本を愛しているアメリカ人ほど、訪問のたびに日本が汚くなり落胆するという話を聞いたことがあります。

いずれにしても、当時の日本は本当に美しかったようで、イギリスの田園都市構想も日本を見て構想したと言われています。明治政府が設立以降産業が発達し、経済は大いに繁栄しましたが、大切なものを失ってしまったのではないかと思うと残念でなりません・・出来ることなら、タイムスリップして、この目で江戸の街並みを見てみたいものです。

代表取締役 松戸 明

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